藤原定子 ふじわらのていし
- 宮(の御前) みや(のおまえ)
976~1000。平安時代中期の皇后。一条天皇に入内した。藤原道隆と高階貴子の娘。兄に伊周、弟に隆家がいる。藤原道長の娘・彰子が中宮となったときに、自身は中宮から皇后になった。清少納言が仕えたことで有名。
登場作品
『枕草子』
第6段 大進生昌が家に
第7段 上に候ふ御猫は
一条天皇の愛猫・命婦のおとどを驚かせたせいで帝の怒りを買って追い払われた犬の翁丸が、打ち据えられてボロボロの姿で現れた。それを見てかわいそうに思い、食べ物を与えるなどして助けようとした。
第21段 清涼殿の丑寅の隅の
色紙を取り出して、清少納言はじめお付きの女房たちに『古今和歌集』の中から思い浮かんだものを書くように命じる。清少納言が元の歌を一語書き換えて、定子を称えた歌になるようにアレンジすると、その機転に満足した。そして、かつて父の道隆が、円融院に対して同様の機転を利かせて称賛されたことを語る。さらに、『古今集』の和歌から選んで上の句を言い、下の句を答えさせようとする。清少納言たちが緊張のためか、すっと答えられないのを見て残念がり、村上天皇の女御であった藤原芳子が、村上帝に『古今集』の和歌を全て覚えているかテストされたことがあるが、完璧に答えたという逸話を話して聞かせる。このような定子の様子や、それに対して感想を述べあう周囲の様子を、清少納言は好ましく記している。
第47段 職の御曹司の西面の立蔀のもとにて
あまり風流なところがなく女房たちにそしられがちな藤原行成が実際は優れた気性であることを理解している、と清少納言は見ている。
ある晩春の朝、奥の間から突然一条天皇と現れて、寝ていた清少納言と式部のおもとを慌てさせる。
第77段 御仏名のまたの日
仏事の翌日、仏事で使った地獄絵の屏風を一条天皇から披露される。定子から清少納言にも見るように命じるが、清少納言は気味悪がって隠れてしまった。その日は雨が降っていて退屈だったために、定子の局で管弦の遊びが催された。
第78段 頭中将のすずろなるそら言を聞きて
ある夜、藤原斉信が清少納言を試すために、他の殿上人たちとも謀って、彼女に手紙を送った。清少納言からの返事は斉信の予想を上回る機知にとんだものだったので、大変な評判になった。この一件を一条天皇から聞き知って、話題とするために清少納言を呼び出した。
第79段 返る年の二月二十余日
第82段 さてその左衛門の陣などに行きて後
清少納言が里下がりしているときに、早く戻ってきて参上せよと手紙をよこした。
第83段 職の御曹司におはしますころ、西の廂に
仮の御所に現れた物乞いの女性を女房たちがからかっているので、早く帰すように言って衣を与える。あとで右近が参上したときには、この物乞いのことを話題にして、女房の小兵衛にものまねをさせる。
年の瀬には大雪が降って女房たちが巨大な雪山を作った。これがいつまで解けずに残っているか、女房たちに予想させた。清少納言は「正月十日過ぎまでは残っています」と答えた。これはかなり無理のありそうな予想だったが、雪山は思いの外長持ちして、本当に正月十五日まで残りそうな様子だった。しかし、清少納言が宿下がりしていた十四日に、定子が侍たちに命じて雪山を捨てさせてしまい、帰参した清少納言をたいそうがっかりさせた。
また、年明けには選子内親王と新年を祝う贈り物や歌のやりとりをした。
第86段 宮の五節出ださせたまふに
五節の舞姫を出すときに、介添えの女房12人のうち10人まで、自分に仕える女房から出した。女御や御息所に仕える女房を介添えに出すというのは、通例好ましくないこととされていた。
ほかの女房や身内の人にも知らせずに、舞姫が着る青摺の装束を介添えの女房たちにも着せたり、舞姫の控所が早々に壊されてしまうのに苦言を呈したりと、精力的に動くさまが描かれる。
第89段 無名といふ琵琶
あるとき、宮中にある琵琶の名を清少納言が尋ねたところ、「無名」という琵琶の名にちなんで「いとはかなく名もなし(とてもつまらないもので名もない)」と答えて清少納言を感嘆させる。また、妹の原子と弟の隆円が訪れたときには、原子が持っている笙の笛の話になった。隆円が、自分が持っている琴と原子の笙を交換しようと持ちかけたが、原子は無視していた。そこで、原子の意図を察して、「『いなかへじ』と思っているのに」と代わりに答えた。件の笙の名が「いなかへじ(いやよ、取り換えません)」というのだった。
第95段 五月の御精進のほど
ある日、清少納言含め女房4人ほどが、ホトトギスの声を聴きに、賀茂に出かけることになった。ほかの女房たちが羨ましがって「自分たちも行きたい」と言い出したが、定子は止める。楽しんで帰ってきた清少納言たちだったが、誰も歌を詠んでいなかったので、不興気な様子を見せる。後日、再び歌の話になり、清少納言が「先祖に代々優れた歌詠みがいるから、自分が歌を詠むのは気後れする」と弁明するのを聞いて、「ならばもう私のほうから歌を詠めとは言わない。あなたの心に任せます」と笑った。
第96段 職におはしますころ
旧暦8月10日過ぎの月の明るい夜、女房たちがおしゃべりをしているなか、清少納言が柱に寄りかかって静かにしているので、「どうして黙っているの」と尋ねる。清少納言が「秋の月の心を見ているのです」と答えたのを聞いて、「まさにそれがぴったりね」と応じる。
※後撰和歌集所収の歌、もしくは白楽天の詩をふまえてのやりとりとされる。
第97段 御方々、君達、上人など、御前に
身内がたくさん参上しているので、女房たちは離れた所でおしゃべりをしていた。そんななか、清少納言に「私があなたのことを、いちばんの推しではないと言ったらどう?」と書いて寄越す。これは日頃から清少納言が、「いちばんでないなら、いっそ憎まれるくらいのほうがいい。2位や3位なんて死んでもイヤ」と話すのを踏まえての問いかけだった。この問いかけに清少納言は、「中宮様の推しになるなら、底辺でもかまいません」と殊勝な答えを返してくる。そこで、「いちばんがいいと言うなら、それを押し通しなさい」と声をかけた。
第98段 中納言まゐりたまひて
弟の隆家が、「たいへんすばらしい扇の骨が手に入った」と言うので、「いったいどういうものなのか」と尋ねる。
関連する人物 藤原隆家
第100段 淑景舎、春宮にまゐりたまふほどの事など
東宮居貞親王に入内している妹の原子が、入内以来初めて、定子のもとを訪れることになった。原子にお目にかかったことがないと話す清少納言に、「屏風の裏に隠れてのぞき見しておきなさい」と言う。清少納言の筆によって、衣の色合わせを気にする様子や、原子のかわいらしさと対比して、大人びて落ち着いた様子が描写される。一条天皇から届いた手紙にも、さっと返事を書く如才なさを見せる。
一条天皇からお召しがあったときには、東宮からお召しがあった妹と、どちらが先に向かうかで譲り合いをする。
第124段 関白殿、黒戸より出でさせたまふとて
清少納言が、道隆が清涼殿から現れたときのすばらしい様子を話すのをほほえましく聞く。なかでも、道隆の弟・道長が、兄にひざまずいた様子を繰り返し話すので、「いつものひいきの人(=道長)ね」とからかった。
第127段 二月、宮の司に
定考(こうじょう=官吏の任命式)の日のこと、藤原行成が清少納言に、餅餤(へいだん=餅菓子の一種)と公文書に模した手紙を贈った。この趣向に感心して、手紙を持っていってしまった。
第129段 故殿の御ために、月ごとの十日
父・藤原道隆の月命日には、法要を行っている。あるとき、法要後の宴の席で、藤原斉信が、場に応じた漢詩を口ずさんだので、ほめたたえた。清少納言が同様にほめたたえるので、「あなたは斉信がお気に入りだから、余計にすばらしく思うのでしょうね」と言う。
第131段 五月ばかり、月もなういと暗きに
清少納言が、殿上人たちが持ってきた呉竹を見て、即座に「この君(=漢籍をもとにした呉竹の異名)ですね」と応じて評判になった、という一件を伝え聞いて、うれしそうな様子を見せた。常々自分に仕える女房が殿上人からほめられるのを知ると、喜ぶのだという。
第132段 円融院の御果ての年
第136段 なほめでたきこと
賀茂神社の臨時の祭りの際、女房たちが、去っていく舞人たちを呼び戻してもう一度舞を披露してほしいと願い、そのことを一条天皇から命じてもらうように口添えをせがまれる。
関連する人物 一条天皇
第137段 殿などのおはしまさで後、世の中に事出で来
父・藤原道隆亡き後の政変で、自身も髪を下ろし、宮中からも出て小二条殿に移った。このとき清少納言は、中関白家にとっての政敵・藤原道長とも親交があったために道長側の人間だと見なされてしまうことがあり、その気詰まりから里下がりしていた。そんな清少納言を慮って、ある日手紙を送って再び出仕させる。遠慮がちにしている清少納言を呼び寄せ、以前と変わらず隔てなく声をかけて、話に花を咲かせる。
関連する人物 源経房
第177段 宮にはじめてまゐりたるころ
出仕したばかりでひたすらおどおどしている清少納言を気遣い、何かと話しかけたり近くに呼んだりして緊張をほぐそうと心を配る。
関連する人物 藤原伊周
第222段 細殿にびんなき人なむ
清少納言が細殿に男性を連れ込んで泊まらせた、という噂が流れたので、様子を伺うために、彼女に文を送った。清少納言からは、件の噂が濡れ衣であるという返事が返ってきた。その返事は、定子が送った句に対して付け句で首尾よく答えたものだったので、定子も満足したのだった。
第223段 三条の宮におはしますころ
五月五日の節句に、菖蒲の輿や薬玉などが献上される。それらの中に、「青ざし」というお菓子があった。清少納言が色を合わせて青い薄様を硯のふたに敷き、その上に青ざしを載せて、定子にお目にかけたので、薄様の端を破って歌を詠んで謝意を示した。
第224段 御乳母の大輔の命婦、日向へくだるに
乳母が夫の任地の日向国へ下るにあたり、餞別として、手ずから惜別の歌を書いた扇を贈った。
このことについて清少納言は、ここまでしてくれる主君を置いてどこかへ行くなど考えられないという旨を記す。
第228段 一条の院をば今内裏とぞいふ
第259段 御前にて人々とも、また物仰せらるるついでなどに
定子の前で女房たちが話に花を咲かせているときに、清少納言が、「どうしようもなくムカついて気分がふさぐときでも、上等の紙を手に入れたり、高麗縁の畳の筵を見たりすると、気持ちが慰められます」と話したことがあった。このことを定子は覚えていて、清少納言が里下がりしているときに、すばらしい紙や畳を折を見ては贈ってやった。
第260段 関白殿、二月二十一日に、法興院の
父・道隆が一切経供養を行うことになり、二条の宮に里下がりした。上機嫌な道隆は一条天皇から定子に届いた手紙を「ぜひ拝見したい」と冗談で言ってくるが、その場ではやり過ごし、道隆が席を外したタイミングを見計らって手紙を開くという気遣いを見せる。
法要には、ともに参列した東三条院を慮って、裳をつける、髪を上げるなど、正装で臨み、そのさまがいつもにもまして美しかった。
関連する人物 藤原道隆 東三条院 藤原伊周 藤原隆家 藤原道長 【藤原道隆三女】 【藤原道隆四女】 藤原原子 高階貴子 藤原道兼 高階明順 丹波重雅 藤原道頼 隆円 藤原道雅 高階信順 源則理
第274段 成信の中将は、入道兵部卿宮の御子にて
仕えている女房の中に、現在は養子に入った関係で平姓をなのっているものの、かつては非常に変わった(珍妙な?)姓をもつ者がいた。若い女房たちがそのことをネタに陰口をたたくので、「見苦しい」とたしなめる。
また、源成信が清少納言を訪ねてきたものの、少納言は既に寝ていたらしく出てこなかったことがあった。しかし定子は、彼女が空寝していることを見抜いていた。
第280段 雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて
雪がたいそう降り積もった日のこと、ほかの女房らとおしゃべりしている清少納言に向かって「少納言、香炉峰の雪はどうかしらね。」と問う。これは『白氏文集』所収の詩の一節「香炉峰ノ雪ハ簾ヲ撥ゲテ看ル」を踏まえたものだった。少納言がこの定子の意図を汲んで御簾を高く巻き上げて見せたので、笑みをもらした。
第293段 大納言殿まゐりたまひて
あるとき、兄の藤原伊周がやってきて、一条天皇に漢詩の進講を行う。夜通し過ごしているうちに時が過ぎ、やがて夜が明けてきた。帝がうたた寝している姿を見て、伊周とともに、「もう夜も明けるというのに、今さら寝てしまわれるなんて」などと笑い合う。
第294段 僧都の御乳母のままなど
御匣殿(定子の妹)の局に身分の低い男がやってきて家が火事になったことを訴え嘆いたが、清少納言や女房たちはこの男をからかい、定子の前でも笑いのタネにした。そんな彼女たちの様子を見てたしなめた。
関連する人物 【藤原道隆四女】