清原元輔 きよはらのもとすけ

  • 元輔 もとすけ

908~990。平安時代中期の歌人。三十六歌仙のひとり。清原深養父の孫。清少納言の父。梨壺の五人として『後撰和歌集』を撰進した。陽気な人柄であったといわれる。

登場作品

『宇治拾遺物語』

巻13-2 162話 元輔、落馬の事

賀茂祭の勅使を務め、馬に乗って一条大路を通ったときに、見物人の前で落馬してしまった。すぐに起き上がったが、冠が脱げて禿げ頭をさらすことになった。周りの殿上人たちに笑われたが、開き直って冠を落としたことの弁明を始めたので、余計に笑い者になった。

『小倉百人一首』

42 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪越さじとは

<あのとき約束したよね。泣き濡れた袖をしぼりながら。末の松山を波が越えることは決してないように、僕らの愛が変わることも、ありえないのだと>

後拾遺和歌集巻第14恋4・770より。恋人に心変わりされてしまった人のために代作した歌という。末の松山は歌枕で、所在地は宮城県とも福井県ともいわれる。波が越えることは決してないという言い伝えがあり、ここから、起こりえないことを表すシンボルとされる。

『枕草子』

第95段 五月の御精進のほど

清少納言が、大した歌も詠めない自分が歌を詠んでは、名高い歌人である曽祖父・清原深養父や父・元輔に気の毒だと話す。

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