藤原道隆 ふじわらのみちたか
- (ただいまの)関白殿 (ただいまの)かんぱくどの
- 三位の中将 さんみのちゅうじょう
953~995。平安時代中期の公卿。中関白とも呼ばれる。藤原兼家と時姫の息子。同母のきょうだいに道兼・道長・超子・詮子がいる。子に道頼・伊周・定子・隆家・原子など。一条天皇が即位し、父・兼家が権力を握ると、自らも昇進を重ねた。父の死後、摂政に就き、のちに関白になった。娘の定子を一条天皇に、原子を三条天皇に入内させるなど、中関白家の栄華を築いた。病気になり、関白の位を息子の伊周に譲ろうとしたが、果たせぬまま亡くなった。大酒飲みであったといわれる。
登場作品
『枕草子』
第21段 清涼殿の丑寅の隅の
中宮定子が語る逸話に登場する。円融天皇が殿上人たちに、「草子に歌を一首書け」と命じた。皆が困って断る者などもいるなか、古歌の一語を書き換えて帝を称える歌にしてみせたので、帝からお褒めの言葉をいただいた。
第33段 小白川といふ所は
小白川の藤原済時邸で行われた仏事に参加した。暑い時季のこととて、ほかの参加者が青系の涼しげな装いをしているなか、濃い蘇芳色の袴を着るなど、一見暑苦しく見えそうなカラーコーディネートだった。しかし、そんなことはなく、立派な様子だった、と記されている。
第89段 無名といふ琵琶
第100段 淑景舎、春宮にまゐりたまふほどの事など
居貞親王に入内している原子が姉の定子のもとを訪れた機会に、妻の貴子とともに、娘たちのもとにやってくる。一条天皇中宮定子・居貞親王妃原子と、自慢の美しい娘たちがそろっているのを眺めてご満悦の様子で、ひっきりなしに冗談を飛ばす。
第124段 関白殿、黒戸より出でさせたまふとて
清涼殿から現れ、女房たちが大勢伺候しているのを見ると冗談を飛ばす。大変立派な様子で、息子の伊周が沓を履かせ、実弟の道長もひざまずいて敬意を表した。
第260段 関白殿、二月二十一日に、法興院の
法興院の積善寺で一切経供養を行うことになり、参列のために、娘の中宮定子が二条の宮に里下がりした。そこで、定子のために、桜の造花をしつらえる。それは本物かと見紛うような見事な出来だったが、雨に濡れるとやはり見苦しくなってしまった。雨が降ったのは夜中のことだったので、定子の目に触れぬよう、早朝に造花の桜を撤去させる。しかし、その様子を清少納言に気づかれてしまい、悔しがって見せた。
定子の姿や、彼女に付き従ってきた女房たちの華やかなありさまにたいそうご満悦で、一条天皇から定子に手紙が届くと、「是非拝見したいものです」などと冗談を飛ばすほどだった。法要も目が眩むほど立派に行われ、往時の道隆の権勢を示していた。
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