藤原斉信 ふじわらのただのぶ
- 頭中将 とうのちゅうじょう
- 宰相の中将 さいしょうのちゅうじょう
967~1035。平安時代中期の公卿。藤原為光の息子。大納言まで昇った。政務に優れた有能な人物で、藤原道長の信頼が厚かったという。一条天皇期の四納言のひとりとされる。
登場作品
『枕草子』
第78段 頭中将のすずろなるそら言を聞きて
清少納言に関する根も葉もないうわさ話を聞いて悪口を言いふらし、一方的に彼女を避けるようになった。ところが「絶交したままでは物足りない気持ちがする」と言い出し、ある夜、使いの者を寄こして清少納言に手紙を渡した。手紙には『白氏文集』の一節をしたため、これを知っているか、試そうとしたのだった。すると、予想を上回る機知にとんだ返事が清少納言から届いたので感嘆し、周りの殿上人たちにもこの返信を披露した。これらの一件は宮中で評判となり、斉信も、清少納言を避けるような振る舞いをやめたのだった。
第79段 返る年の二月二十余日
ある晩、清少納言に訪問の旨を伝える手紙を送っておいたにもかかわらず、彼女が不在にしていてバツの悪い思いをした。翌日改めて清少納言を訪ねてきたが、絵に描いたような美々しい装いだった。このあと中宮定子の御所を訪れ、女房の宰相の君と、『白氏文集』を交えたやりとりをする。
第80段 里にまかでたるに
第89段 無名といふ琵琶
宮中にある琴や笛といった楽器はどれも珍しい名がついており、また、どれも名器だった。これを評して「宜陽殿の一の棚に置くほどの一級品だ」という決まり文句でほめたたえた。
第123段 はしたなきもの
第129段 故殿の御ために、月ごとの十日
藤原道隆の月命日の法要に参加し、法要後の宴の席で場に応じた漢詩を口ずさんだ。このふるまいを中宮定子や清少納言に感嘆された。
そんなふうに清少納言とは長い間親しくしているにもかかわらず、ずっと「お友達」のままなので、「どうして本気でつき合ってくれないのだ」と迫る。清少納言に「本気の仲になってしまったら、あなたをほめたたえることができなくなってしまうでしょ」と言われて、不服の体を見せた。
第155段 故殿の御服のころ
4月の初めに、ふと七夕にまつわる詩を吟じて、清少納言から「気の早いことですね」と、一緒にいた源宣方ともどもからかわれたことがあった。その後、七夕の日を迎えて、清少納言からそのときのことを蒸し返されたが、斉信自身もその件をしっかり覚えていて、うまく切り返したので、感心された。この件だけではなく常日頃から何かと過去のやりとりを覚えていて、清少納言には好ましく思われていた模様。
第190段 心にくきもの
梅雨時に御簾に寄りかかって座っていたところ、湿度の高さもあいまって、身にまとっていた香のすばらしい香りが辺りに漂った。その移り香が、翌日まで御簾に残っていたほどだったという。