大江匡房 おおえのまさふさ

  • 前中納言匡房 さきのちゅうなごんまさふさ

1041~1111。平安時代後期の学者。幼いときから神童と呼ばれるほどの学才を発揮した。当代一の学者として名高く、後三条・白河堀河の三代の天皇に学問を教えるとともに、政治にも深く関わった。朝廷の儀礼にも詳しく、『続本朝往生伝』『江談抄』など数多くの著作がある。

登場作品

『小倉百人一首』

73 高砂の 尾上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ

<山の峰の上の桜が咲いているなあ。里近い山の霞よ、立たないでおくれよ。せっかくの桜が見えなくなってしまうから>

後拾遺和歌集巻第1春上・120より。藤原師通の屋敷で宴会をしていたときに、「遠くの山桜を臨む」という題で詠んだ歌という。「高砂」は、ここでは高い山を表している。

『十訓抄』

第1 人に恵を施すべき事 1-21

匡房は先祖の才を存分に受け継いだ人物だった。
まだ若くて無官の頃に、平等院を建立しようとしていた藤原頼通から「大門を北向きにした寺はあるか」と問われた。それに対して、天竺・震旦・日本にわたってさまざまな寺の例をすらすらと挙げてみせたので、頼通を感心させた。
すぐれた人相見でもあり、藤原清隆の将来の官位や寿命を占って的中させた。
勅命により、『法華経』八巻を一夜のうちにすべて暗誦してしまったこともあった。
またあるとき、中国の皇帝から、后の重病を治すために、名医として名高い丹波雅忠を派遣してほしいという依頼があった。評議の結果、この依頼を断ることに決まり、匡房が返書を書いた。そこに記した詩文は日本でも中国でも絶賛されたという。

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