源俊賢 みなもとのとしかた
- 俊賢の宰相 としかたのさいしょう
960~1027。平安時代中期の公卿。源高明の息子。はじめ藤原道隆の信任を得て蔵人頭に就き、道隆没後は道長を支えた。政務に優れていたほか詩文の才もあり、四納言のひとりに数えられる。
登場作品
『枕草子』
第102段 二月つごもりごろに、風いたう吹きて
『十訓抄』
第1 人に恵を施すべき事 1-21
一条天皇が優れた帝であったためか、数多の人材を得た。そのうちの四納言と呼ばれた人々として紹介される。
関連する人物 一条天皇 清少納言 紫式部 赤染衛門 和泉式部 小式部内侍 伊勢大輔 高階貴子 相模 出羽弁 小弁 馬内侍 江侍従 新宰相 兵衛内侍 上東門院中将 藤原斉信 藤原公任 藤原行成 良源 寛朝 円融天皇 小大君 上東門院 大江匡衡 藤原道長 藤原有国 大江匡房 藤原頼通 源師房 藤原清隆 丹波雅忠 允恭天皇
第1 人に恵を施すべき事 1-33
少年時代の藤原頼通とともに、北山の辺りに花見に出かけた。ある御堂に人々が次々と入っていったが、俊賢は、「ここしばらく北の方角は方塞がりではなかったので、いろいろな人が集まっているだろう。何がしか穢れがあるかもしれない」と言って、下人に中を調べさせた。すると、中門の廊下の前に車が停めてあり、その中に死人が乗っていた。すんでのところで死の穢れに触れるのを避けることができたので、 敏賢は自分の用心深さを自賛したのだった。