藤原頼通 ふじわらのよりみち
- 宇治殿 うじどの
992~1074。平安時代中期の公卿。藤原道長の息子。教通の兄。父の譲りを受けて摂政となり、後一条・後朱雀・後冷泉の3代の天皇の摂政・関白を務めて権力をふるった。娘を天皇の后としたが、皇子に恵まれなかった。平等院鳳凰堂を建立した。
登場作品
『宇治拾遺物語』
巻1-9 9話 宇治殿、倒れさせ給て、実相房僧正、験者に召さるる事
藤原頼通が突然倒れてしまったときの出来事が描かれる。頼通の治療のため、心誉僧正に祈祷を頼むことにした。ところが、僧正が到着する前に、頼通に仕える女房にもののけがのりうつった。もののけは「頼通様をちょっと見つめたら、このように倒れてしまわれた。けれども、僧正様が、ご自分が到着される前に護法童子を遣わして私を追い払うので逃げ出したのです」と言った。おかげで頼通の具合はすっかりよくなったのだった。
関連する人物 心誉
巻2-5 23話 用経、荒巻の事
巻3-14 46話 伏見修理太夫俊綱の事
説話冒頭、藤原俊綱の出自を説明するくだりで登場。俊綱はもともと頼通の息子であったとされ、頼通にあまりにも子が多いので、俊綱を橘俊遠の養子にしたといういきさつが語られる。
巻4-8 60話 進命婦、清水詣の事
進命婦こと藤原祇子が寵愛を得た人物として登場。二人の間には師実・寛子・覚円といった長じて高位にのぼる子が産まれたことが語られ、このような祇子の幸福は、彼女に思いを寄せた清水寺の老僧の功徳だったとされる。