藤原有国 ふじわらのありくに

  • 勘解由相公 かげゆしょうこう

943~1011。平安時代中期の公卿。各地の国守や、弁官などを歴任するとともに、藤原兼家道長に近く仕えた。漢詩文に優れた人物でもあった。

登場作品

『十訓抄』

第1 人に恵を施すべき事 1-21

中宮彰子の御産が重かったので、父の藤原道長があわてて障子を開けて飛び出してきて、「どうしたものか、祈祷を増やしたほうがよいか」と言った。有国が「御産はもう終わりました」と答えている間に女房がやって来て「御産が終わりました」と報告した。後日道長から「どうして御産が終わったとわかったのだ」と尋ねられたので、「障子は『子を障る』と書きます。その障子が広く開いたので、『御産は終わりました』と申しあげたのです」と答えた。

関連する人物  一条天皇 清少納言 紫式部 赤染衛門 和泉式部 小式部内侍 伊勢大輔 高階貴子 相模 出羽弁 小弁 馬内侍 江侍従 新宰相 兵衛内侍 上東門院中将 藤原斉信 藤原公任 藤原行成 源俊賢 良源 寛朝 円融天皇 小大君 上東門院 大江匡衡 藤原道長 大江匡房 藤原頼通 源師房 藤原清隆 丹波雅忠 允恭天皇

第1 人に恵を施すべき事 1-32

藤原道長が東三条殿を造ったときに、施工の責任者を務めた。その際、透廊の一部の上長押を打たず、道長に理由を問われても有耶無耶にして答えなかった。やがて、道長の娘彰子が入内するとき、件の上長押がないおかげで、輿がつかえることなく通ることができた。有国は先々の彰子の入内を見越して、上長押を打たなかったのだった。
有国は実は、伴善男の生まれ変わりである。善男が流された伊豆には彼の絵姿が残されているが、その顔は有国の顔とそっくりである。

関連する人物  藤原道長 伴善男