藤原行成 ふじわらのゆきなり
- 頭弁 とうのべん
972~1027。「こうぜい」とも。平安時代中期の公卿。藤原義孝の息子。23歳で蔵人頭に抜擢されると、弁官を務めるなど昇進を重ね、最終的に権大納言まで昇った。有能な人物で、一条天皇や藤原道長からの信頼も厚く、四納言に挙げられる。また、書家としても有名で、小野道風・藤原佐理とともに「三蹟」と呼ばれる。清少納言とも親しかった。
登場作品
『枕草子』
第7段 上に候ふ御猫は
宮中の三月三日の行事で、飼い犬・翁丸を、柳のかずらや桃の花や桜の枝で飾って歩かせた。このとき翁丸は、得意気に歩いていたらしい。
第47段 職の御曹司の西面の立蔀のもとにて
風流なことを言ったり歌を詠むことを好んだりしないために、女房たちには評判が悪いが、清少納言とはとても馬が合うらしく、冗談を言い合うさまが描かれる。中宮定子への用向きの取次にも、わざわざ清少納言を呼び出して頼んでいたらしい。これだけ親しい間柄なのだから顔を見せてくれてもいいだろうと清少納言に言って拒否されるが、彼女が油断していたときに現れて、それ以来、清少納言の局を訪れ親しく付き合っていた模様。
第127段 二月、宮の司に
定考(こうじょう=官吏の任命式)の日のこと、清少納言に餅餤(へいだん=餅菓子の一種)と公文書に模した手紙を贈った。清少納言からの手紙の返事が、歌ではなく、自分が寄越した文面にぴったりと合う文章だったので感心して、この件を一条天皇にも話した。
第130段 頭弁の、職にまゐりたまひて
清少納言と夜更けまでしゃべっていたが、帝の物忌みに詰めなければならないということで丑の刻前に宮中に参上していった。
翌朝清少納言に、「夜通しお話したかったけれど、鶏の声に急かされたもので」と手紙を寄こした。清少納言が「夜中に鳴く鶏なんて、孟嘗君に仕えた食客の鳴き真似のアレでしょ?」と返すと、さらに、「いやいや、食客が鶏の鳴き真似で開いた函谷関じゃなくて、逢坂の関のことを言ったんですよ」と返した。それに対して清少納言が「夜をこめて…」の歌を返してきたので、行成は「逢坂は人越えやすき関なれば…」という返歌を贈った。
これらのやりとりは宮中でたいそう評判になった。