藤原伊周 ふじわらのこれちか
- 大納言殿 だいなごんどの
974~1010。平安時代中期の公卿。藤原道隆と高階貴子の息子。きょうだいに、定子・隆家らがいる。父・道隆が関白になると、自らも次々と昇進し、21歳で内大臣まで進んだ。父を継いで関白に就くことを臨んだが果たせず、父の死後、叔父の道長と後継を争うことになった。花山天皇に矢を射かける事件や東三条院を呪詛した疑いなどで大宰権帥に左遷されるも、翌年には京に戻ることを許された。しかし、道長政権下では、もはや政治的に力を得ることはかなわなかった。大臣に準じる扱いとなり、儀同三司と呼ばれた。文才に優れていたという。
登場作品
『枕草子』
第21段 清涼殿の丑寅の隅の
妹の中宮定子のもとにやってくる。のどかな春の日の折、桜の直衣・濃い紫の指貫・濃い紅の鮮やかな綾織物と華やかな装いだった。定子が女房たちに色紙を渡し、『古今和歌集』から頭に浮かんできた歌を書くように命じたことに対して清少納言から「どうしましょうか」とお伺いを立てられたが、「男子が口を出すことではないから、あなたたちが早く書いて差しあげなさい」と答えた。
第77段 御仏名のまたの日
第95段 五月の御精進のほど
中宮定子が庚申待ちをするということでやってくる。女房たちに題を出して歌を詠ませるが、清少納言がその輪に加わらず、定子もそれを許しているらしいことを知って不審がる。
第100段 淑景舎、春宮にまゐりたまふほどの事など
妹の中宮定子と東宮妃原子、さらに両親が集まっているところに、弟・隆家や息子の松君(のちの道雅)を連れてきて、そのまま出勤する。一条天皇が定子のもとから帰っていくときにはお供をする。
第124段 関白殿、黒戸より出でさせたまふとて
第177段 宮にはじめてまゐりたるころ
清少納言が中宮定子に出仕したばかりのあるとき、定子を訪ねてくる。隠れている清少納言に目をつけて、なんとかやりとりをしようと話しかける。
関連する人物 藤原定子