藤原忠平 ふじわらのただひら

  • 貞信公 ていしんこう

880~849。平安時代中期の公卿。藤原基経の息子。時平・仲平の弟。時平の死後、権中納言になり、のちに朱雀天皇のもとで摂政・関白、続く村上天皇のもとで関白を務めた。温厚な人柄だったといわれ、兄・時平が追い落とした菅原道真とも親しかったと伝えられる。宮廷の儀礼に詳しく、息子の実頼師輔にそれらを伝えた。

登場作品

『小倉百人一首』

26 小倉山 峰のもみぢ葉 こころあらば 今ひとたびの みゆき待たなむ

<小倉山の峰の美しい紅葉よ。もしも心があるならば、そのまま散らずにいておくれ。もう一度、帝のお出ましがあるまで、どうか待っていておくれ>

拾遺和歌集巻第17雑秋・1128より。宇多上皇が大堰川に御幸したときに小倉山の紅葉を見て、息子の醍醐天皇にもこの紅葉を見せたいと述べた。お供としてついてきていた忠平が、そんな上皇の思いを代わりに詠んだもの。小倉山は紅葉の名所だった。

関連する人物  宇多天皇 醍醐天皇