菅原道真 すがわらのみちざね
- 菅家 かんけ
845~903。平安時代前期の公卿・学者。菅原氏は優れた学者の家柄で、道真も早くから才覚を現した。宇多天皇の信任を得て異例の出世を遂げた。醍醐天皇が即位した際に右大臣になったが、同じく左大臣に昇進した藤原時平に濡れ衣を着せられて失脚。太宰府に左遷された。そのままそこで死去し、その後怨霊と化したといわれる。たたりをしずめるために北野天満宮に祀られ、のちに学問の神様として信仰を集めるようになった。
登場作品
『小倉百人一首』
24 このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
<この度は急な旅でしたので、お供えの幣を用意できなかったのです。手向山の神よ。代わりに錦のように美しい、この紅葉を捧げますから、どうぞお心のままにお受け取りください>
古今和歌集巻第9羇旅歌・420より。宇多上皇が奈良へ旅したときに道真もお供していった。そのときに詠んだ歌。旅行の際には道中の安全を祈るために、布や紙を細かく切ったものを持っていって道祖神に供えた。幣とはこのお供え物のこと。「幣を用意できなかったので、紅葉を幣として捧げます」と詠んでいる。道真の機知を感じさせる歌。
関連する人物 宇多天皇