藤原良経 ふじわらのよしつね
- 後京極摂政前太政大臣 ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん
- 後京極摂政殿 ごきょうごくせっしょうどの
1169~1206。「九条良経」とも。平安時代後期~鎌倉時代の公卿。九条兼実の息子。太政大臣までのぼった。藤原俊成に和歌を学び、定家の後ろ盾になった。書にも優れていた。
登場作品
『小倉百人一首』
91 きりぎりす なくや霜夜の さむしろに 衣かたしき 独りかも寝む
<こおろぎが鳴いている…。霜の降りた寒い寒い夜。寒い寒いむしろの上で、自分の衣の片方を敷き、ひとりぼっちで眠るのかな>
新古今和歌集巻第5秋歌下・518より。「きりぎりす」とあるが、これは、今のこおろぎのこと。恋人どうしが共に寝るときには、お互いの衣を重ねて敷いて寝た。それに対して、ひとり寝をすることを、自分の衣の片袖だけを敷いて寝たということから、「片敷き」といった。
『十訓抄』
第1 人に恵を施すべき事 1-01
冬の夜の民の暮らしを思い、「おほふべき袖こそなけれ世の中に寒ける民の冬のよなよな(毎夜毎夜こんなに寒いというのに、民には体をおおう袖もない)」という歌を詠んだ。
第1 人に恵を施すべき事 1-36
当時、藤原定家と藤原家隆が、和歌の第一人者として並び称されていたが、このうちのひとり家隆を呼んで、「今の歌詠みで最も優れている者は誰か」と尋ねた。しかし、家隆はなかなかはっきりと答えない。良経が強いて答えを求めたが、結局下がっていってしまった。ただ、下がり際に懐から畳紙を落としていったのでそれを見てみると、定家の歌が記されていたのだった。
関連する人物 藤原家隆