藤原俊成 ふじわらのしゅんぜい

  • 皇太后宮太夫俊成 こうたいごうぐうのだいぶとしなり

1114~1204。「としなり」とも。平安時代後期~鎌倉時代の歌人。藤原定家の父。藤原基俊から和歌を学び、源俊頼の影響も受けつつ、新しい歌風を確立して歌人としての名声を得た。定家をはじめとした後進の歌人たちを育て、『千載和歌集』の編者も務めた。

登場作品

『小倉百人一首』

83 世の中よ 通こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

<この生きづらい世の中から逃れる道はないのだ。世を捨てんと思い詰めて入り込んだ山奥でも、鹿が悲しげに鳴いているのだもの>

千載和歌集巻第17雑歌中・1148より。平安末期の無常観に覆われた世情を反映しているといわれる。俗世を避けられると思って山奥に入ったものの、鹿の鳴き声に逃れることのできない悲しみを感じた歌。