藤原家隆 ふじわらのいえたか
- 従二位家隆 じゅにいいえたか
- 民部卿家隆 みんぶきょういえたか
1158~1237。平安時代後期~鎌倉時代の歌人。藤原俊成を師として和歌を学び、藤原定家と並び称される歌人であった。定家らとともに『新古今和歌集』の撰者を務め、後鳥羽上皇からの信頼も厚かった。
登場作品
『小倉百人一首』
98 風そよぐ ならの小川の 夕暮は みそぎぞ夏の しるしなりける
<風がそよそよと楢の葉をそよがせる。ならの小川の夕暮れは、もう秋の気配が忍び寄っているけれど、この夏越の祓えが季節はまだ夏だということを教えてくれる>
新勅撰和歌集巻第3夏・192より。「なら」は「楢の木」と「ならの小川」の掛詞。「ならの小川」は京都にある上賀茂神社の中を流れる川。陰暦6月晦日に、半年間の穢れを祓う禊・夏越の祓え(水無月祓えとも)が行われた。
『十訓抄』
第1 人に恵を施すべき事 1-36
当時、家隆は、藤原定家とともに、和歌の第一人者として並び称されていた。
あるとき藤原の良経に呼ばれて、「今の歌詠みで最も優れている者は誰か」と尋ねられた。はっきりとした返事をせずにいたが、良経は強いて答えさせようとする。どうにか退出したが、下がり際に懐から畳紙を落としてしまった。その畳紙には定家の歌を記していたので、家隆が定家を認めていることが、良経に伝わったのだった。
関連する人物 藤原良経