後鳥羽天皇 ごとばてんのう

  • 後鳥羽院 ごとばいん

1180~1239。平安時代後期~鎌倉時代の天皇。在位1183~1198。安徳天皇が平氏とともに都落ちしたことにともなって、後白河法皇の命で即位。このとき4歳だった。19歳で土御門天皇に譲位し、以後、順徳・仲恭天皇の三代にわたって院政を行った。鎌倉幕府の将軍・源実朝とは親交があったが、執権を務める北条氏とは対立し、実朝暗殺をきっかけに討幕を決意。承久の乱を起こすも敗北して隠岐(島根県)に流され、そこで一生を終えた。武術・音楽・和歌など諸芸に優れた多才な人物で、藤原定家らに『新古今和歌集』の撰進を命じ、自らも深く関わった。

登場作品

『小倉百人一首』

99 人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は

<人というものは、あるときにはいとおしい。またあるときには恨めしい。おもしろくもない世の中ゆえに、思いわずらい思い悩む、この私にとっては。>

すでに帝位を譲り、院政をふるっていた頃の歌。鎌倉幕府との関係性が悪化していった時期にあたる。承久の乱は、この歌を詠んだ9年後に起こった。