1057~1118。平安時代後期の官人。篤子内親王に近く仕え、また、堀河天皇のもとで歌人として活躍した。
堀河天皇の中宮篤子が開いた花合で、「玉の身」という言葉を詠みこんで歌を作った。人々が「不吉なことだ」と噂していたところ、ほどなくして中宮は亡くなってしまった。
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