993~1065。平安時代中期の公卿。藤原道長の息子。上東門院(彰子)や頼通らとは異母兄弟にあたる。歌人として名高く、その歌才は藤原公任に次ぐといわれた。
兄の頼通が主催した歌合で詠んだ歌「あふまでとせめて命の惜しければ恋こそ人の命なりけれ」には「けれ」が重複した「同詞の歌病」があるが、秀句だった故か特に難もなく、勝ちと判じられた。
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