944~1005。平安時代中期の公卿。平生昌の兄。藤原兼家に重用されて出世した。大宰権帥を務めたが、宇佐八幡宮の訴えによって解任され、その後、大宰府で亡くなった。
弟の生昌邸に定子が行啓した際の清少納言とのやりとりを聞いて感心し、「清少納言にお目にかかってゆっくりお話したい」と語った。このことは、生昌から清少納言に伝えられた。
関連する人物 平生昌 藤原定子 脩子内親王
定考(こうじょう=官吏の任命式)の日のこと、藤原行成が清少納言に、餅餤(へいだん=餅菓子の一種)と公文書に模した手紙を贈った。清少納言から、このようなときの返答の作法を尋ねられたのが、たまたま近辺に居合わせた惟仲だった。
関連する人物 藤原行成 藤原定子 一条天皇