伊勢 いせ

生没年不詳。平安時代前期の歌人。三十六歌仙の一人。宇多天皇の后・温子に仕えた。藤原仲平と親密になるが破局、やがて、宇多天皇から愛された。温子には、彼女が亡くなるまで仕えた。のちには宇多天皇の皇子・敦慶親王の愛を得るようになって、娘・中務を産んだ。歌人としてもめざましく活躍し、紀貫之凡河内躬恒らとも肩を並べるほどだったといわれる。

登場作品

『小倉百人一首』

19 難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世を すぐしてよとや

<難波の海岸に生い茂る葦。あの葦の節と節の間くらい短い、ほんのちょっとした時間でさえも、あなたに逢わずに過ごせって言うの?>

新古今和歌集巻第11恋歌1・1049より。難波は現在の大阪市付近の古い呼び名。その海岸が「難波潟」で、当時、葦が多く生い茂っていたという。節と節の間を「よ」といい、「世」と重ねている。「私はあなたに逢いたいのに、短い時間でも逢ってくれないの?」と詰め寄るような調子の歌。