源融 みなもとのとおる
- 融の左大臣 とおるのさだいじん
- 融の大臣 とおるのおとど
- 河原左大臣 かわらのさだいじん
822~895。平安時代前期の歌人。嵯峨天皇の皇子。臣籍に入り、左大臣までのぼった。別荘である河原院で風雅な生活を送り、河原左大臣と呼ばれた。
登場作品
『宇治拾遺物語』
巻12-15 151話 河原院に、融公の霊、住む事
『小倉百人一首』
14 みちのくの しのぶもぢずり たれ故に 乱れそめにし われならなくに
<陸奥のしのぶもじずりの乱れ模様。あの模様のように、私の心はあなたへの思いで乱れに乱れはじめている。いったい誰のせいで、こんなになったと思う? 私のせいではないよ。つれないあなたのせいだよ>
古今和歌集巻14恋歌4・724より。「しのぶもじずり」の「しのぶ」は染料とした草の名前が「しのぶ草」だったことからとも、福島県の「信夫」という地名からきているともいわれる。古今集では、第四句が「乱れむと思ふ」となっている。