藤原定方 ふじわらのさだかた

  • 三条右大臣 さんじょうのうだいじん

873~932。平安時代前期の公卿。歌人としても優れており、宇多醍醐両天皇時代の宮中の歌人たちに影響をもっていたといわれる。

登場作品

『宇治拾遺物語』

巻7-3 94話 三条中納言、水飯の事

藤原朝成は藤原定方の子、と紹介される。

関連する人物  藤原朝成 茨田滋秀

『小倉百人一首』

25 名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな

<逢坂山のさねかずら。その名は愛しい人に逢って共寝することを暗示する。そんなさねかずらの蔓をたぐるように、誰にも知られずにこっそりと、僕が君のもとに来る。そんなよい手はないものかなあ>

後撰和歌集巻第11恋歌3・701より。さねかずらはつる性の樹木で、樹液は整髪料にも用いられていたことから「美男葛(びなんかずら)」という呼び名もある。「さ寝(共寝)」との掛詞になっている。ほかにも「逢坂山」の「逢」と「逢ふ」、「くる」の「来る」と「繰る(蔓をたぐる)」がそれぞれ掛詞だったり、第3句までが「くる」を導く序詞だったりと、修辞技法を盛り込んだ歌である。