藤原伊尹 ふじわらのこれただ
- 一条摂政(殿) いちじょうのせっしょう
- 謙徳公 けんとくこう
924~972。平安時代中期の公卿。藤原師輔の息子。兄弟に兼通、兼家などがいる。太政大臣までのぼった。歌人としても優れ、また、好色な人物であったともいわれる。
登場作品
『宇治拾遺物語』
巻3-19 51話 一条摂政、歌の事
色好みで、さまざまな女性のもとに通っていた。ある日、高貴な身分の人の姫君のもとに通い始めた。姫君の母や乳母は承知していたが、父親は何も知らなかった。しかし、あるとき父親が、伊尹が通ってきているという噂を聞きつけ「あんな女たらしに娘はやれん!」とばかりに腹を立てた。姫君の母が困って、「娘との間にはまだ何事もない旨の手紙を寄こしてください」と、伊尹に頼んできた。そこで、その意をくんだ歌を詠んで姫君の父に贈り、一応納得させた。
関連する人物 藤原兼家
巻6-2 84話 世尊寺に死人を掘り出す事
『小倉百人一首』
45 あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
<私のことを気の毒がってくれる人なんて、もう思い浮かばなくて。私はきっとこの恋にわずらい、むなしく命を失うのだろうなあ>
拾遺和歌集巻第15恋5・950より。つき合っていた女性がつれなくなり、逢ってもらえなくなって詠んだ歌という。捨てられてしまった傷心をストレートにぶつけている。