慈円 じえん

  • 前大僧正慈円 さきのだいそうじょうじえん

1155~1225。平安時代後期~鎌倉時代の僧侶。藤原忠通の息子。九条兼実の弟。覚快法親王を師とした。後鳥羽上皇に重用されたが、上皇が討幕に向かったことにより、袂を分かった。『新古今和歌集』の代表的な歌人。また、『愚管抄』をはじめ、多くの著書を残した。

登場作品

『小倉百人一首』

95 おほけなく 憂き世の民に おほふかな わが立つ杣に すみぞめの袖

<分不相応とは知りながら、この厳しくつらい世の中に生きる全ての人々に、仏様のご加護を願って覆いかけるのだ。比叡の山に住みはじめた私の、墨染の衣の袖を。>

『千載和歌集』巻17雑・1137より。仏教の力で人々を救いたいという気構えを詠んだ歌。権力が公家から武家の手へと移り始め、戦や天変地異などで時勢は乱れていた。そんな世の中に対しようという若い慈円の仏教者としての情熱が表されている。「杣」は材木を切り出す山のことで、ここでは延暦寺の建つ比叡山を指す。