藤原頼長 ふじわらのよりなが
- 宇治左大臣殿 うじさだいじんどの
1120~1156。平安時代後期の公卿。異母兄である藤原忠通の養子となり、若くして昇進を重ねた。学問に通じ、博識だったことから、実父・忠実にかわいがられ、このことがもとで、忠通と対立した。政治の場でに力をふるったが、鳥羽天皇の信任を失って失脚。崇徳上皇と結んで保元の乱を起こし、このときの傷がもとで命を落とした。気性が激しく厳しい人柄から、悪左府と呼ばれた。日記『台記』を残している。
登場作品
『宇治拾遺物語』
巻5-3 72話 以長、物忌の事
橘以長が物忌で自邸にこもっていたのに無理矢理呼び出した。後日自分が物忌のときに以長が屋敷にやってきたので咎めたが、先日の自分の言動を引き合いに出されて反論され、何も言えなくなった。
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