崇徳天皇 すとくてんのう
- 崇徳院 すとくいん
1119~1164。平安時代後期の天皇。在位1123~1141。鳥羽天皇の皇子。母は待賢門院璋子。後白河天皇の兄。実は、曽祖父の白河法皇と璋子の間に産まれた子とされ、そのため、父の鳥羽天皇から疎まれたと伝えられる。院政を敷き、絶大な権力をふるった父の意向で近衛天皇に譲位させられ、近衛天皇の次に即位した後白河天皇と、父の死去後に対立。やがて、藤原頼長と結んで保元の乱を起こし、敗れて讃岐(香川県)に流された。そのまま恨みを抱いて死去し、強大な怨霊になって人々を恐れさせたといわれる。
登場作品
『小倉百人一首』
77 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
<川の瀬の流れが速いので、岩にせき止められた急流は一度は二つに分かれても、また一つに合流する。あの流れのように私たちも、今は別れていても、この先でまたきっとめぐり逢い、愛し合おう>
詞花和歌集巻第7恋上・228より。「はやみ」の「み」は「~ので」と理由を表す語。川の流れが岩によって分かれるさまを恋人との別れに、岩を越えて一つになった流れを恋人と逢って、ともに過ごすことにたとえて、切実な恋心を詠んでいる。
『十訓抄』
第1 人に恵を施すべき事 1-3
讃岐に流され侘しい暮らしをしている中、蓮妙という僧(伝不詳)が訪ねてきて、お目にかかれない旨を悲しむ歌を奉った。この歌を見て、せっかく会いに来てくれたにもかかわらずどうしてやることもできないまま蓮妙を虚しく帰すことを嘆く返歌を贈った。