母の供養のために、愛宕山で3年にわたって経を読み続けていたが、母が仏になったと知って、京に戻ることにした。ずっと飲まず食わずだったので、道中で見かけた畑一面の水葱を食べ尽くしてしまった。この大食ぶりを聞いた藤原師輔に招かれ食事を捧げられたが、実は聖自身が食べていたわけではなく、聖についている餓鬼や畜生など多くの人外の者たちに食べ物を与えていたのだった。この人外の者たちが小路に糞を垂れ流し、ここには「糞の小路」という呼び名がついたが、のちに「錦の小路」と改められた。
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村上天皇