藤原基俊 ふじわらのもととし
1060~1142。平安時代後期の歌人。和歌の世界において、源俊頼と並び称されたが、伝統的な歌風を重んじ、新しい歌風を求める俊頼と対立した。『万葉集』に訓点をつけたほか、漢文にも深い知識をもっていた。名門の家柄だが、人望に欠けたといわれ、出世には恵まれなかった。
登場作品
『小倉百人一首』
75 契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり
<お約束くださったさせも草の露のような儚いそのお言葉。それを命と頼んでおりましたのに、今年の秋もむなしく過ぎてしまいましたね>
千載和歌集巻第16雑歌上・1023より。作者は僧侶となっていた息子を、秋に行われる維摩会という法会の講師にしてほしいと思っていた。その旨を時の太政大臣・藤原忠通に頼み、忠通からも色よい返事をもらっていたが、結局息子が講師に選ばれることはなかった。そのときの落胆を詠んで忠通に贈った歌という。
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