藤原道綱母 ふじわらのみちつなのはは
- 右大将道綱母 うだいしょうみちつなのはは
?~995。平安時代中期の歌人。藤原兼家の妻。道綱の母。『更級日記』の作者・菅原孝標女の伯母にあたる。兼家との満たされない結婚生活をつづった『蜻蛉日記』の作者として有名。また、歌人としても高い評価を得ていたといわれる。
登場作品
『小倉百人一首』
53 なげきつつ ひとりぬる夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る
<今夜も来ないあなたのこと。嘆き恨んで過ごす、そんな夜が明けるまでの果てしない長さ。あなたにはわかる? どうせわからないでしょう?>
拾遺和歌集巻第14恋4・912より。夫の藤原兼家が夜遅くに訪れたものの、日ごろのつれなさの仕返しにか門を開けなかった。その翌朝に贈った歌という。
関連する人物 藤原兼家
『枕草子』
第288段 小原の殿の御母上とこそは
普門寺で法華八講という仏事を行った翌日、人々が小野殿に集い、管弦の遊びをしたり漢詩を作ったりした。この折に、道綱母が法華八講に絡めた歌を詠んだことを、清少納言は「すばらしい」と評している。
道綱母のエピソードは清少納言の聞き書きによるものらしい。