西園寺公経 さいおんじきんつね
- 入道前太政大臣 にゅうどうさきのだいじょうだいじん
1171~1244。鎌倉時代の公卿。藤原公経とも。源頼朝と関係が深く、後鳥羽天皇が承久の乱を起こした際にはいち早く鎌倉幕府に知らせた。このことによって幕府の後ろ盾を得て、京都で絶大な権力をふるった。琵琶や和歌にも才能を発揮する多才な人物だった。西園寺を建立し、ここから西園寺氏と名のった。西園寺の場所には、のちに鹿苑寺(金閣)が建てられた。
登場作品
『小倉百人一首』
96 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり
<花散らしの風が吹き荒れる。雪のように花びらが降りしきる。いや、ふるのは雪ではない。ふるびていくのは、この私>
新勅撰和歌集巻第16雑1・1052より。「ふりゆく」は花吹雪が「降りゆく」と、我が身が「古りゆく」の掛詞。散っていく桜から自身の老いを顧みた歌。