藤原実能 ふじわらのさねよし
- 徳大寺左大臣 とくだいじのさだいじん
1096~1157。平安時代後期の公卿。藤原公実の子。公能の父。鳥羽院亡き後の勢力争いの中で後鳥羽天皇を支え、保元の乱後に左大臣に就いた。京都の衣笠に徳大寺を建立し、ここから徳大寺家と呼ばれる。日記『実能記』を残した。
登場作品
『十訓抄』
第1 人に恵を施すべき事 1-40
高陽院を訪問すると、車寄せにツバイモモの木が植わっていた。これを見て、高陽院に仕える蔵人に「これは桜か?」と尋ねた。蔵人は深く考えずに「桃でございます」と答えた。あとで蔵人は実能の真意に気づいてたいへん悔やんだのだった。
※高陽院の藤原泰子は男性に縁遠い人だったという。いっぽう、桃の実には好色の意味があった。実能の言葉には泰子に対するからかいが含まれていた模様。(「日本古典文学全集」参考)
