紀貫之 きのつらゆき

  • 貫之 つらゆき

868?~945。平安時代前期の歌人。三十六歌仙のひとり。『古今和歌集』の撰者。ともに撰者を務めた紀友則はいとこにあたる。土佐守としての任期を終えて京に帰るまでの紀行を著した『土佐日記』は、仮名文学のさきがけ。

登場作品

『宇治拾遺物語』

巻12-13 149話 貫之、歌の事

土佐守の任期が終わる年に、かわいがっていた幼い子どもを病気で亡くしてしまった。京へ戻る前にその悲しみを歌に詠んで、柱に書きつけた。

巻12-14 150話 東人、歌の事

東人が蛍を詠んだものとされる歌があるが、実際は貫之が東人風に詠んだものだという。

『小倉百人一首』

35 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

<あなたの気持ちは、さあどうだかわからないけど、昔なじみのこの里の梅の花は、昔と変わらずかぐわしく咲いて、私のことを迎えてくれていますね>

古今和歌集巻第1春歌上・42より。無沙汰をしていた家を久々に訪ねたところ、家の主人からやんわり嫌味を言われてしまったのに対して返した歌。家の主人が男性か女性かは不明である。

『枕草子』

第227段 社は

蟻通明神に関して、貫之が、馬が病気になったときに、この明神に歌を詠んで奉った、という逸話が紹介される。

第269段 神は

平野神社(京都市)の斎垣に這った蔦が紅葉している様子に対して、貫之の歌「ちはやぶる 神の斎垣にはふ葛も 秋にはあへず うつろひにける」(古今集・秋下)を思い浮かべる、という一節がある。