陽成天皇 ようぜいてんのう
- 陽成院 ようぜいいん
868~949。平安時代前期の天皇。在位876~884。父・清和天皇の譲位を受けて9歳で即位した。しかし、その後、乱行が目立ったといわれる。これによって摂政の藤原基経と対立し、光孝天皇に譲位するにいたった。
登場作品
『宇治拾遺物語』
巻9-1 106話 滝口道則、術を習ふ事
滝口の道則が、草履を犬に変身させたり、藁沓を鯉に変身させたりするような術を習得したと聞いて、道則からその術を習った。
関連する人物 道則
巻12-22 158話 陽成院、妖物の事
退位した後に住んだ御所にはもののけが住んでいた。ある夜、夜番の男が寝ていると、みすぼらしい翁が男の顔をなでて「わしは1200年もの間ここに住んでいる。社を作ってわしを祭ってくれ」と言う。男が「私だけではどうにもならない。院に申し上げよう」と答えると、翁は「憎たらしい物言いをする」と言って男を蹴り上げ、巨大化して食ってしまった。
『小倉百人一首』
13 筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
<筑波山の峰から流れ落ちる小さな水の流れが集まり、積もり積もってやがて男女の川となるように、私があなたに寄せる恋心も、積もり積もって淵のように深くなったんだ>
後撰和歌集巻11恋歌3・777より。光孝天皇の皇女・娞子内親王に贈った歌。娞子内親王は、後に陽成院の妃になった。
筑波嶺(筑波山)は、万葉集の時代には歌垣が行われ、男女の出会いの場となってきた。古くから信仰を集め、歌にも盛んに詠まれる歌枕である。
『十訓抄』
第1 人に恵を施すべき事 1-28
賀茂祭の日、ある老人が札を立てた。そこには「ここは老人の見物する所だから誰も近寄るべからず」と書いてあった。人々は「老人」とは、陽成院のことを指すと思い、院が祭見物をなさる場所だろうということで、札の所に近寄らなかった。さて、祭の行列の時間になると件の老人がやって来て、悠々と見物を始めたので、人々は呆気にとられたのだった。
この話を聞いた陽成院が、老人を召して事情を問うた。すると老人は、「孫が祭の行列に加わるので見物したいと思ったのですが、年も取っておりますので、普通に見物したのでは群集に踏みつぶされてしまいます。安心して見物したく、札を立てました。」と述べた。院はこれを聞いて納得し、お咎めなしとしたのだった。